お茶犬とちえちゃん

自分はプリンセスだと思いながらソバージュで幼稚園に通っていたときのころ、わたしはどうしてもお茶犬のおもちゃが欲しかった。鼻を押したり、揺すったりすると動く、緑茶の香りがする犬のロボットで、舌を出してクンクンと鳴くのがかわいかった。犬好きなのにペットが飼えなかったわたしは、とっても心を揺さぶられたのである。

そんなお茶犬のCMが流れていたのは誕生日の時期でも、クリスマスの時期でもなかったし、わたしは今と変わらず、そんな何でもない日におもちゃのおねだりができる子どもではなかった。

今思うと明らかに幼稚園児とかが対象年齢のおもちゃだったはずだけど、何となくお茶犬が欲しいということを言うのが恥ずかしかったし、何より両親にはワガママなんて言わないイイ子だと思われたかった。

それでもやっぱり、欲しいのは欲しい。何とかおねだり無しに手に入れる方法はないだろうか…とめちゃくちゃ悩んだ挙句、わたしはCMが流れるたびに「うわぁ…これかわいいなぁ…!」と大きめの声で呟くことにした。「あら、ウチの子こんなに欲しいのに強請るでもなく我慢してるんだわ…!」という具合に、ママやパパに欲しいことを匂わせる作戦である。園児のくせになんという回りくどさ。

しかし、この匂わせ作戦、意外にも功を奏したのか、はたまたあからさま過ぎたのか、繰り返すこと数回、ついにパパが待ち望んだ台詞を投げかけてくれた。

「せりか、お茶犬欲しいんか?」

「…うん。」

「じゃあパパが買うたるわ。」

「え、いいの?」

やったー!イイ子のイメージを守りながらおもちゃもゲット、大成功の瞬間である。だがしかし、喜びも束の間、今ならわかるが、これで終わらないのがうちのパパだった。

「俺の前でちえちゃんのこと“おばさん”って呼んだら買ったるで。」

 

…なんということか。ちえちゃんはママの妹で、両親より10歳くらい年下の美人だった。当時24、5歳、安室ちゃんと同い年で負けず劣らず綺麗だった彼女は、姪っ子である私に自分のことを“ちえちゃん”と呼ばせていた。

そして私は、ママが「ちえの言うことやったら何でもすぐ聞くんやから〜!」って拗ねちゃうくらいにちえちゃんが大好きだった。幼心ながらにも、ちえちゃんが若く綺麗な自分にプライドを持っているということに何とな〜く気が付いていた私。世間一般では両親の姉妹をおばと呼ぶことは知りつつも、大好きなちえちゃんを傷つけまいと、ひたすらちえちゃん呼びを貫いていたのである。そんなちえちゃんを“おばさん”と呼ぶなんて…まさにミッションインポッシブルである。

お茶犬ゲットのため、おばさん呼びミッションを与えられた週末、私はちえちゃんに会った。お茶犬とちえちゃん、どっちを選ぶかまだ考えが決まっていなかったのに、パパがちえちゃんに「せりかが言いたいことあるらしいで。」とかニヤニヤしながら言うもんだから、ついに私はちえちゃんに「おばさん…」と呼びかけてしまった。もうー!って言って怒るかな…と思って恐る恐る見上げたちえちゃんはめちゃくちゃ笑っていた。

「ちえはせりママの妹やからおばさんであってるんやで〜!パパになんか言われたんやろ、気にせんでいいよ〜!」

綺麗なちえちゃんのことをおばさんって呼んだのに、怒られるでもなく、嫌がるでもなく、ニコニコ笑われたのが恐ろしく、お茶犬欲しさにそんなことをした自分がひどいやつに思えて悲しかった。

買ってもらったお茶犬は可愛かったけど、見るたびにちえちゃんがちらついて罪悪感が拭えず、そこまでお気に入りのおもちゃにはならなかった。

今でもお茶犬シリーズのキャラクターを見るたびに思い出し、一体いつになったら時効なんだ?!と思うと同時に、下手に他人をいじって笑いなんて取るもんじゃないなと教訓にしている。