心の傷、全治一週間

せりちゃんだよ。お久しぶりです。ツイッターにも書いたけど、ガチヘコみを継続してるから詳細を聞いてくれ。

わたしはひよっこ先生だから、新任担当の先生がついてるんだけど、テキパキチャキチャキした先生なの。初めてで分からないことだらけのわたしを先回りして、たくさんアドバイスくれるし、先生自身が教材の準備してくれたりするので、マジで有難いし、先生が居なかったら…って考えたら恐ろしい。先生のおかげで授業もなんとかできてるし、いいところ見つけてほめたりもしてくれるわけです。

しかしね、仲の良いみなさんはご存知の通り、わたしはまあまあ頑固で自分で納得しないと動けない上に、そこそこトロいしドジなのよ。相性悪いどころじゃない。わたし、全然追いつけてないのに、ガンガン先に進んでっちゃうからとてもつらい。

それでもね、この人のこと嫌いになったらしんどいぞと、尊敬できる人なのは確かやし好きって思って過ごそう…やばい時は一旦田中圭だとでも思っとこう…っていつもニコニコしていた。これが悲劇を呼んだのですね。

 2人で他のクラスに入ってる時に「担任の先生は忙しいから、ほら、こうやって宿題の採点とかやってあげたらいいよ!まあ、私はそういうのやられたら嫌やし、自分でやりたいタイプやけどね😏」って言うから、自虐なんかと思って「あははは、そうなんですね」って笑ったの。次の瞬間真顔になってね「それ、先生どう言う感情で笑ってるのか分からへんわ。バカにしてるって取れる。失礼なんじゃない?普段からよく笑ってるけど、そういうところなおしたほうがいいよ。わたしは裏で悪口とか言いたくないから、先生に直接いうけど。」と。

小声でぶわあって言い放ってそのまま去って行って、教室の隅に取り残されてもうほんと泣きそうになってしまった。

わたし、今までの人生で変だねとか変わってるねって言われることはあったけどね、それは自分でも分かってるし、そういうところが好きって言ってくれる友達がいっぱいいたから、そんなこと全然気にならなかったの。基本的には優しいね、いい子だね、いつも笑ってて素敵ねって言われて生きてきたから、笑ってて失礼とか、「え、そんなひどいこと今まで言われたことないんですが…?マジにわたしに向かって言ったの…?」みたいな。「わたしはいい子なんですが…?」みたいな。もう本当にショックでショックで、今も引きずってるわけです。

先生が失礼って思ったって時点で、あのタイミングで笑ったのは失礼だったんでしょうけど、何より怖いのは昨日も一昨日もこのやり取りしたってとこなんだよね。そんな何回も天丼されたら「まあわたしはじぶんでやっちゃうんだけど☆」ってギャグだとも思うやん…しゃあなくない…?だれかしゃあないって言ってくれ…

いい子のレッテル、取り戻すべく頑張ろうって思うけど、お優しい人、とりあえず1週間は引きずりそうなので、どうか甘やかしてください。

音楽と大切なひと

今日はわたしの所属する軽音楽部の一大イベントがあった。定期演奏会という名前がついたライブ。バンドは1年で組み替わるから、いっぱいのお客さんにお披露目できるのは最後になるライブ。沢山あるバンドのほとんどが、ここを最大のゴールとして、1年間必死で頑張る。わたしたちのバンドもその1つで、何とか出られることが決まった。

せっかくだから、普段呼ばない家族とか友達とか、そんな人に見てもらいたかったけど、恥ずかしくてそんなに沢山は誘えなかったし、そうやって誘った人たちも急な話でみんなやっぱり忙しくって、行くって返事をくれたのは友達数人だった。

そして迎えた本番。出番の少し前に、行けないって言ってたママの妹のちえちゃんからLINEが来た。

「最後やから仕事抜けれたら観にいくね。」

「え、来れそうなん?」

「ママの代わりに観に行かないと。」

ちえちゃんから連絡が来るまでは、何となく、みんなに見て欲しいなって感覚だったけど、これを見た瞬間、ああ、私は大事だって思う人に最後の演奏を見て欲しかったのかもしれないなと思った。

私は中3の頃から軽音を始めて、それからずっと忙しく部活だ部活だって音楽をやってきた。部活ばっかりで疲れて家でだらしなくなったり、勉強しないでいたりして、ママにはよく怒られてたけど、そんな風に怒りながらもいつも、「せりちゃんが世界で1番可愛くて誰よりもベースが上手」って信じて疑わず、観に来てくれたのはいつもママだったなあって思い出して、親バカのフィルターがあるからってだけじゃなくて本当に頑張って前より上手になったところ、ママに観てもらいたかったなって舞台裏ですごい泣いてしまった。ママが見にきてた頃は平気でチューニング半音ズレてたりしたもん。

音楽ばっかりやってきた後悔っていうのもものすごくあって…ママは中3の時に癌が再発して、それからは手術したり抗がん剤やったりで、調子が良くなったり悪くなったりの繰り返しで、その間も私は部活ばっかりで、亡くなった高3のときは受験勉強ばっかりで、あれ?って。なんでママにもっと時間使ってあげられへんかったんかなって。才能も無ければプロになりたいって夢があるわけでもないし、そんなに頑張って音楽なんてやる必要あったかなとか、ママを蔑ろにしてまで大学とか入る必要あったかなって何回も後悔したし、ママのこと抜きにしても大学四年間は辛いことがめちゃくちゃあったし、部活でもそうで、もう辞めたいって何回も思ったし、音楽以外でもっと有意義なことがあったんじゃないかとも思ったし…

そんなこと色々考えながら舞台に立ったんだけど、途中ちえちゃんが演奏聴きながら泣き出して、こんな風に音楽やってる姿をみて成長を感じてくれてる人がいるんだって、それ見て私も泣きそうになって、そのタイミングでもっと周りを見渡したら、大学生になってから出来た友達とか、中学から私のことを支え続けてくれた友達とか、部活で優しくしてくれた先輩・後輩・同期たちがわたしの方を見てくれていて、わ、なんか、後悔したこともあったけど、音楽やっててよかったんだなって思ったし、ママには観てもらえなかったけど、それでもこんな風に大切な人たちに囲まれて演奏できるってなんて幸せなんだろうと思った。

そしてこんな自分があるのは、バンドメンバー含めて、過去から今までわたしに関わってくれた人たちがいたからで、いまそんなみんなにとってもとっても感謝しています。

けもなれでがっきーが「お母さんじゃないけどお母さんみたいな人とまた飲む約束した、飲み友達と一晩中ゲームして朝コーヒーを一緒に飲んだ。そういうのを大切にしてたら1人じゃないってことじゃないかな。」って言ってたの、いまになってとっても沁みるな。わたしは1人じゃなかった。

 

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目覚ましとしては秀

今朝の7:30、わたしは父に叩き起こされた。「今日はちょっとゆっくり寝れるはずやのに何なん〜?うざ〜」と思いながら、しぶしぶ目を開けると弟も同様に起こされたようで、開いたドアの向こうで眠い目をこすっているのが見えた。父が言った。「緊急事態が発生したんやけど、ちょっと来てくれる?」

「いや、緊急事態にしてはふざけすぎやろ…」とイライラしながら父についてリビングに行き、指差すカウンターの上を見る。そこにいたのは…得体の知れない虫だった。目測だけど体長8ミリ、すっごい太くてもはや楕円の、白いイモムシが5.6匹いて、活発ではないものの頭が動いてた。「えええええ?!キモ!!!何これ?!どっから?!」とパニックになるわたしと弟。父が言った。「全てリビングの端、窓の前の1ヶ所にいました。発生源を突き止めなければおちおち会社にも行けません。」確かにこれは緊急事態。家族会議が必要である。

うちは引っ越して8年だ。部屋は12階で、ママがキレイ好きだったということもあって、家の中で蚊以外の虫とエンカウントしたことがなかったのに、何なんだこいつらは。家族3人、誰も正体が分からない。外から入って来たのかもとも思ったが、網戸は閉まっているし、こんなイモムシみたいなのが大量に侵入してくるって絶対におかしい。確実に家の中に発生源がある。本当にそうだったらかなりキモくて無理だけど、これ以上勝手に人ん家ですくすく育ってもらっても困るし、何としても原因を突き止めなくては…という結論に至った。

我々はGoogle検索に頼ることにしたが、これもまた地獄であった。正体を突き止めるためには、検索で出てきた写真と!実際の虫とを!!比較照合しなければならないのである。「家の中 イモムシ 白い」とかで色々検索して、たくさん気持ち悪い虫の写真をみて照らし合わせたが、違った。全部大きさとか色が違う。米びつとか調味料系の棚には虫が発生しやすいとGoogle検索がいうから、そっちも見たけどそれらしきものはいない。

このあと父は会社に行かなければならない。弟は大学に行くだろう。1番家を出るのが遅いのはわたしである。このまま1人で得体の知れない虫を家中探し回り、どうにか見つけ出して駆除しなければならないのかと思うとちょっとした絶望だった。

その時、台所のカウンターに白いレジ袋が置いてあることに気がついた。2.3日前から置いてある、生の栗の入った袋だ。もしかして…私は再びググった。今度は「栗 虫」で検索をかけると、家の中で虫を発見したのち、写真をあげて何の虫が尋ねている知恵袋を見つけた。やはりうちにいたベイビーたちに似ている。回答とそれに対するお礼の返事を父に向かって読み上げた。

「部屋にドングリか栗がないですか?コナラシギゾウムシに似ています。」

「(袋を見つけて)あっ!!」

「ご回答ありがとうございます!その通りでした。袋に丸い穴が開いてたので、そこから出てきたみたいです。栗も見事にトンネル開通してました。」

「(袋を持ち上げて)うわっ!穴空いてる!」

「栗の入っている袋を見たら10匹以上もウヨウヨしてました…」

「(中をのぞいて)うわ〜〜〜〜!!!」

栗ごと全てディスポーザーにぶち込んで始末☆してやったわ。わたしが掃除を怠ったせいでこんなことに…?!って後悔がやばかったから、原因が栗とわかってひとまず安心…。しかし普段からこまめに掃除しとけば、こんなに悩む必要なかったんやなってかなり反省。

目はしっかりと覚めたけど今でも思い出すと気持ち悪く、もやもやしたので文字に起こしてみました。皆様も栗やどんぐりにはお気をつけて……。

ブスの品格

みなさんは自分の顔が気に入っていますか?

私自身、自分に何度も問いかけてきたことだけど、いつもちょっと悩む。私の顔って大して可愛くも美しくもないな…とか、ここが嫌だあの子はもっとこんな風で可愛くて羨ましいしそもそも骨格が…とか色々と思うけど、そんな顔とももう22年の付き合いだからね。紆余曲折を経て、愛着とまではいかないけど、この顔であって私なんだよなあと思えるに至ってる。あんまり自分で自分のことブスブス言ってもしんどいだけだし、かわいそうだし、人前でも頑張ってブスじゃない振る舞いをしてきたわけよ…

しかしながらやはりね、前の晩にメイク落とさずに寝ちゃったせいで肌が超荒れてたりとか、朝バタバタして丁寧に化粧できなかったとか、飲みすぎて浮腫んでるとかってときは特にだけど、ふと鏡に映る顔がまあ〜〜〜〜〜〜〜ブスなときがあるんだよ。

普段からみんなの目にはこんな風に見えてるのかもしれないけど(だとしたらかなり辛いけど)、一応自分の中でマックス盛れてる顔、この状態をキープしたいぞって顔があるわけで、それなのに不意に目にした自分がそれを大幅に下回るはちゃめちゃブスだとかなりびっくりする。そして割と落ち込む。

元気なときなら、まあしゃあないわなと、与えられたもので頑張るしかないわなと…思って終わらせられるけど、問題は元気がないとき。

特に人間関係とか恋愛が上手くいかないときに、自分のブスを改めて実感しちゃうと、なんだかブスであることが諸悪の根源みたいに思えてくる。酷い時は私はブスだから愛されないんだ…くらいどん底の気持ちになることがある。

わたしは周りの人には恵まれてるし、そこそこ愛されてると思うし、仮に誰かに愛されなかったとしても、その原因が単にブスだからということは無いはずなのに。上手くいかないのをブスのせいにして、ブスを振りかざして文句言うって、なんかもうこの考えこそが真のブスじゃん…。

わたしの人生が上手くいかないのはわたしの顔がブスなせいじゃない…明日も私自分をブスと思う気持ち、ブスのせいにしたくなっちゃう気持ちと戦い続ける……。いつか本当に自分の顔を愛せるといいな。

好きを大事に

わたしはそこそこ趣味が多い。ずっと聴いたりやったりしてる音楽、料理・お菓子・パン作り、プラ板アクセ、羊毛フェルト、ラテアート…ツイッターとかこのブログも趣味に入るのだろうか。

嬉しいことに、最近は一緒にお菓子を作りたいって言ってもらえたり、褒めてもらえることも多くなって、とても充実しているなと感じる。しかし、そんな風に周りにもやや認めてもらえて、甘やかしてもらっている状況にも関わらず、ほんのちょっぴり不満なことがある。それはよく言われる「私には出来ない。すごいね。」という類の台詞だ。

いや、褒められてるじゃん!って思われるかもしれない。確かに、そんな言葉に悪い気ばかりしているわけじゃあない、けど…。わたしはそんな風に言ってもらえるほどに器用だということもなければ、ものづくりが好きという割にはセンスだって足りない。ただの素人凡人なのである。

プロとして音楽や料理や芸術やってる知り合いだってたくさんいるし、そんな人たちを前にして、何だかわたしって恥ずかしいなと思う瞬間も沢山ある。とても自信満々じゃいられない。

でも、そうやって自信がないからって、下手って思われたくないからって、ずっと引きこもっていたら、一生何にも出来ずに過ごすことになるんじゃないかって思ったし、そんなの嫌だ、わたしは自分の気持ちを大事にしたい、と思ったから自分の心が動くものを手当たり次第にやってきた、ただそれだけなのだ。

だから、どうか、まだやってみないうちから、私にはできないなんて、言わないで欲しい。わたしの目には、みんなわたしよりももっと、魅力的で優れているように見えるから。そうやって、みんなが自分の好きを大事にできて、自信がなくても頑張れる世界がつくれたら、それってとっても幸せなんじゃないかな。

 

 

…とかなんとか言いつつ、今もなおどハマりしている『おっさんずラブ』愛を発信し続ける理由をこじつけたかっただけかもしれません!

みんなの好きを大事にしようね!おっさんずラブ最高!!

あの世で誰か雇えるかな

こんばんは。日程が教員採用試験とガッツリ被ってしまい、お盆に行われる部活の合宿に行けなくて、そこそこ寂しい思いをしたせりちゃんだよ。わたしの所属する部活の合宿は毎年お盆に開催されるので、お盆の期間に家にいるのは実に4年ぶりだった。

大学1回のときのお盆って、実はママの初盆だったんだけど、パパの反対を押し切って部活の合宿に行っちゃったわたし。ああ…なんて親不孝者だったんだ…と思う。合宿はとても有意義だったから、今でも後悔は一切してないけど、ずっとママに対する申し訳なさが拭えなかった。

そこで、わたしは決意したのである。今年はお盆にうちに居られるんだから、しっかりお盆をやってあげようではないかと。

さて、お盆といえば精霊馬。きゅうりとなすで、ご先祖様があっちとこっちを行き来するための乗り物を作るってやつだ。野菜を買いに行こうかなと思ったけど、そういえばママはそういうのをやたらと毛嫌いしていた。

ママはわたしよりしっかり者ではあったけど、同時に天然で頭がお花畑な人だった。クリスマスとかチャペルとかかわいくてオシャレっぽいものを好み、線香とかお仏壇とかそういうのは好きじゃなかったようだ。だからといって別にクリスチャンな訳でも無かったから、単なる偏見だったんだろうなあと思うので、わたしとしてはなんとも微妙な気持ちにはなるが、多分、とりあえず、ママは精霊馬とか好きじゃあない。

いくら風習とはいえ、本人が嫌がっていたものを置いても良いものか。「ママがもし死んだら菊とかは嫌いやからカーネーションとか飾ってな!」ってずっと言われていたのに、実際にお葬式の準備をした時わたしはまだ高校生で、周りの大人たちの圧力に勝てず、結局カーネーションもチューリップもバラも1つも飾ってあげられなかった。悔しかった。

もうそんな想いはしたく無かったので、暫く考えた挙句、わたしの部屋に飾ってあった乗り物を置くことにした。TOYOTAのCELICA、トミカである。

カラーはイエローでドアのところにCELICAってロゴが入っててめっちゃカッコいい。昔パパが乗ってた車だったけど、娘に同じ名前を付けるのを許したくらいなんだから、多分ママだって好きなはず。

わたしにとっては考えた末の結果だったけど、周りから見たらとんだ奇行なので、よく知ってる親戚から、誰の何なんだかよく分からない親戚どもにまでめちゃくちゃイジられた。パパもそれに乗っかって、それ以外のわたしの変な話とか、外でいい子ぶってるけど家ではだらしがないとか、そんなことをペラペラと話して笑いを取るもんだから心底不快だった。家にお客が来たら大人が配偶者や子どもを無駄にディスる文化を根絶やしにする会を開きたい。不適切なお笑い反対。

こんな風にまあ本当にイライラしたけど、実際ママがトミカで帰ってこれたのかとか分からなかったし、自信がなかった。夢の中にも出てきてくれなかったし。やっぱりダメだったかな、悪いことしたかなあとか思いながら、教採の勉強をしてるうちにお盆が終わった。

そんな昨日の朝のことである。わたしの夢の中にママが出て来た。わたしとママは昔住んでた家にいて、明晰夢っていうの?わたしは夢の中で大抵は自由に動くことができるので、その時もママと沢山話しをして、夜に隣り合わせで布団を敷いて眠った所で目が覚めてしまった。起きた瞬間書き留めようと思ったのに、話した内容はよく覚えていなかった。なんとなくだけど、いつもみたいに何かわたしを肯定してくれていたような気がする。すごく幸せな夢だった。

はあ、親戚の言葉に傷ついたり、心配したりして損した。遅かったけど、トミカでもちゃんと帰って来たじゃーんと思った。よくよく考えたらママは筋金入りのペーパードライバーだったから、運転に時間がかかったのかもしれない。確かクラッチとか付いてるし。来年のお盆は、代わりに運転してくれる人が必要かな。

飼い主の資格

動物が好きだ。犬や猫はもちろん、かめとか鳥とか魚とか、そういうのも好き。ツイッターでかわいい動物のアカウントを見つけては、かわいいかわいいと眺める日々である。そうやって眺めてるだけでも幸せだけど、本当は自分でご飯をあげたいし、触りたいし、好かれたいとも思う。

だったら好きなのを飼えばいいじゃんと、周りの人にはよく言われるし、自分でもそう思ったりするのだが、当面の間、自分でペットは飼わないと決めている。なぜなら、わたしには動物を飼う資格がないからである。

遡ること十数年、ある夏のこと。小学生だったわたしはお祭りで金魚を3匹取ってきた。家にはなんとな〜くペット禁止なムードがあったし、水槽だって無かったけど、「ペットが飼いたい。犬とかはダメでも魚くらいならいけそう…。」という気持ちが抑えられず、屋台でうっかりもらってきた金魚をどうしても手放すことができなかった。わたしにしては珍しく思い切り、両親に無断で連れ帰ったのである。

こっぴどく叱られるのかと思いきや、なんと、パパママともに「飼うんやったら水槽とか餌いるんちゃうん?」とかなんとか言いながら、あっさりと受け入れてくれた。次の週末には小さな水槽や水草、酸素ポンプなど、金魚を飼うのに必要なものを一通り揃えてくれ、わたしはただの勢いで、人生初ペットを手に入れたのだった。お茶犬の時とはえらい違いじゃないか。時には思い切ってみるものである。

水槽は洗面台の下にでんと設置された。浮かれたわたしは1日に何度も餌をあげたし、毎日の宿題だった「先生あのね」にも幾度となく金魚たちを登場させた。3匹とも似たような見た目だったので、正直そんなには見分けがつかなかったのだが、なんとか微妙なサイズの違いを見出し、大きい方から順に「ジャイアン」「のび太」「スネ夫」という名前も付けてやった。

最初は3、4センチほどだった金魚たちはどんどんと大きくなり、フナのように育っていった。明らかに餌の与えすぎであったが、分かりやすく育てているという実感が得られて嬉しかった。今思うと、もしかしたら、日ごとに大きさランキングが変動して「ジャイアン」が「のび太」になったり、「のび太」が「スネ夫」になったりして、金魚たちは毎度違う名前で呼ばれていたのかも知れない。

幼いわたしはそんなことには全く気がつかなかった。“常に暫定的”というおかしな名前をつけてしまい、3匹には大変申し訳なかったが、今は亡き金魚たちだってそんな風に名前で呼ばれていたとは知らなかっただろうし、きっとわたしのことも許してくれよう。問題は3匹の最期にある。

お察しの通り、ペットが欲しいという念願叶って手に入れて、夢中になった金魚の世話も、数年飼っているとすっかりわたしの日常となった。週1回だった水換えや水槽洗いはほとんど行われず、たまに見兼ねたパパが文句タラタラやるくらい。餌やりさえも忘れられがちになった。はっと思い出して餌をやる時には、金魚たちは決まってお腹を空かせており、水面がバシャバシャと鳴るほど食らいついていたが、そんな金魚の様子にも見慣れてしまっていた。

そんなある日のことである。「あ、そういえば、しばらく餌をやってなかったな。」と思い、金魚の餌を手に取った。水槽の蓋を開けてパラパラと落としてやると、金魚たちが勢いよく口をパクパクさせる。いつもの光景…のはずだったが、若干濁った水の中、よくよく見ると餌を食べているのは2匹だけであったのだ。

あれ?と思い、水槽をあらゆる角度から覗きこみ、どこかにいるはずのもう1匹探した。いない。わたしの飼っている金魚は確かに3匹だったはずなのに、いくら探しても砂利と水草ばかり。あんなに目立つ赤オレンジ色が見当たらないのである。

死んで浮いているのか?それとも、うっかり外に飛び出したのか??と水面や床も探したが、それでも1匹いなかった。「金魚が消えるはずなんて…」と床に手をついた時、その手が酸素ポンプの管に触れ、水槽の中のポンプがふわ〜っと浮き上がった。その瞬間、ふわ〜っと浮いたポンプの陰から、何か白いものがすいっと出てきたのである。

ドキッとして恐る恐る目をやると、それはうっすらと透き通る骨であった。 まるでサカナクションのロゴのような、綺麗な魚の骨だったのだ。

水槽の中で魚が死んだとしても、たった数日で肉体が無くなるなんて事はないはずだ。死んだ1匹は、あろうことか、仲間の2匹に食べられてしまったのである。

死んでから食べられたのか、お腹を空かせた2匹に襲われたのか、わたしには分からなかったが、とにかくショックだった。どちらにしても、共食いするほどに金魚たちを飢えさせたわたしが悪いのだから。

泣きながら網ですくって、マンションの下に埋めた。お墓に名前を書いたふだを立てようと思ったが、1匹骨になってしまったせいで大きさを比べられず、死んだのがどの子かも分からなかったので、あてずっぽうで「ジャイアン」にした。

もう2度と同じ事は繰り返すまいと、生き残った「のび太」と「スネ夫」は慎重に育てたのだが、毎日餌をやったのに、だんだんと弱って死んでしまった。残った2匹も「ジャイアン」のことがショックだったのかもしれない。

 

今でもペットを飼いたいと思うたびに、ジャイアンの綺麗な骨が「本当に大丈夫なの?」とわたしに問いかけるし、いつまで経っても世話ができる自信が持てない。いつかどうか、許されたいと思う。