飼い主の資格

動物が好きだ。犬や猫はもちろん、かめとか鳥とか魚とか、そういうのも好き。ツイッターでかわいい動物のアカウントを見つけては、かわいいかわいいと眺める日々である。そうやって眺めてるだけでも幸せだけど、本当は自分でご飯をあげたいし、触りたいし、好かれたいとも思う。

だったら好きなのを飼えばいいじゃんと、周りの人にはよく言われるし、自分でもそう思ったりするのだが、当面の間、自分でペットは飼わないと決めている。なぜなら、わたしには動物を飼う資格がないからである。

遡ること十数年、ある夏のこと。小学生だったわたしはお祭りで金魚を3匹取ってきた。家にはなんとな〜くペット禁止なムードがあったし、水槽だって無かったけど、「ペットが飼いたい。犬とかはダメでも魚くらいならいけそう…。」という気持ちが抑えられず、屋台でうっかりもらってきた金魚をどうしても手放すことができなかった。わたしにしては珍しく思い切り、両親に無断で連れ帰ったのである。

こっぴどく叱られるのかと思いきや、なんと、パパママともに「飼うんやったら水槽とか餌いるんちゃうん?」とかなんとか言いながら、あっさりと受け入れてくれた。次の週末には小さな水槽や水草、酸素ポンプなど、金魚を飼うのに必要なものを一通り揃えてくれ、わたしはただの勢いで、人生初ペットを手に入れたのだった。お茶犬の時とはえらい違いじゃないか。時には思い切ってみるものである。

水槽は洗面台の下にでんと設置された。浮かれたわたしは1日に何度も餌をあげたし、毎日の宿題だった「先生あのね」にも幾度となく金魚たちを登場させた。3匹とも似たような見た目だったので、正直そんなには見分けがつかなかったのだが、なんとか微妙なサイズの違いを見出し、大きい方から順に「ジャイアン」「のび太」「スネ夫」という名前も付けてやった。

最初は3、4センチほどだった金魚たちはどんどんと大きくなり、フナのように育っていった。明らかに餌の与えすぎであったが、分かりやすく育てているという実感が得られて嬉しかった。今思うと、もしかしたら、日ごとに大きさランキングが変動して「ジャイアン」が「のび太」になったり、「のび太」が「スネ夫」になったりして、金魚たちは毎度違う名前で呼ばれていたのかも知れない。

幼いわたしはそんなことには全く気がつかなかった。“常に暫定的”というおかしな名前をつけてしまい、3匹には大変申し訳なかったが、今は亡き金魚たちだってそんな風に名前で呼ばれていたとは知らなかっただろうし、きっとわたしのことも許してくれよう。問題は3匹の最期にある。

お察しの通り、ペットが欲しいという念願叶って手に入れて、夢中になった金魚の世話も、数年飼っているとすっかりわたしの日常となった。週1回だった水換えや水槽洗いはほとんど行われず、たまに見兼ねたパパが文句タラタラやるくらい。餌やりさえも忘れられがちになった。はっと思い出して餌をやる時には、金魚たちは決まってお腹を空かせており、水面がバシャバシャと鳴るほど食らいついていたが、そんな金魚の様子にも見慣れてしまっていた。

そんなある日のことである。「あ、そういえば、しばらく餌をやってなかったな。」と思い、金魚の餌を手に取った。水槽の蓋を開けてパラパラと落としてやると、金魚たちが勢いよく口をパクパクさせる。いつもの光景…のはずだったが、若干濁った水の中、よくよく見ると餌を食べているのは2匹だけであったのだ。

あれ?と思い、水槽をあらゆる角度から覗きこみ、どこかにいるはずのもう1匹探した。いない。わたしの飼っている金魚は確かに3匹だったはずなのに、いくら探しても砂利と水草ばかり。あんなに目立つ赤オレンジ色が見当たらないのである。

死んで浮いているのか?それとも、うっかり外に飛び出したのか??と水面や床も探したが、それでも1匹いなかった。「金魚が消えるはずなんて…」と床に手をついた時、その手が酸素ポンプの管に触れ、水槽の中のポンプがふわ〜っと浮き上がった。その瞬間、ふわ〜っと浮いたポンプの陰から、何か白いものがすいっと出てきたのである。

ドキッとして恐る恐る目をやると、それはうっすらと透き通る骨であった。 まるでサカナクションのロゴのような、綺麗な魚の骨だったのだ。

水槽の中で魚が死んだとしても、たった数日で肉体が無くなるなんて事はないはずだ。死んだ1匹は、あろうことか、仲間の2匹に食べられてしまったのである。

死んでから食べられたのか、お腹を空かせた2匹に襲われたのか、わたしには分からなかったが、とにかくショックだった。どちらにしても、共食いするほどに金魚たちを飢えさせたわたしが悪いのだから。

泣きながら網ですくって、マンションの下に埋めた。お墓に名前を書いたふだを立てようと思ったが、1匹骨になってしまったせいで大きさを比べられず、死んだのがどの子かも分からなかったので、あてずっぽうで「ジャイアン」にした。

もう2度と同じ事は繰り返すまいと、生き残った「のび太」と「スネ夫」は慎重に育てたのだが、毎日餌をやったのに、だんだんと弱って死んでしまった。残った2匹も「ジャイアン」のことがショックだったのかもしれない。

 

今でもペットを飼いたいと思うたびに、ジャイアンの綺麗な骨が「本当に大丈夫なの?」とわたしに問いかけるし、いつまで経っても世話ができる自信が持てない。いつかどうか、許されたいと思う。