プロフェッショナル

ついこの前、わたしの憧れで大好きな女性作家が、有名なAV男優の方と結婚され、インターネットで結構話題になっていた。恋人の話はいろんな書籍やVoicyで話されてたので、まさか有名人だとは思わず本当にびっくり。

かなり馴染みがない職業だけど、憧れの女性が結婚したお相手である…。どんな人物なのかすっごく気になったので、本人のツイートを遡ったり、インタビュー記事を遡ったりして、AV男優の旦那さんについて調べることにした。

仕事のためにどんな食生活をしてるとか、バッグには何が入ってるとか、そんな情報が沢山出てきたけど、中でも印象に残っているのが、『現場で爪を切るのは恥ずかしい』って話をしてたところ。

売れっ子は毎日現場に出るから爪を切るほど伸びないため、ヤスリがけだけで十分だから、現場で爪を切る男優は仕事がない証拠…ということだそう。これを読んでわたし、「え〜その感じめっちゃ分かる!!!」と思ったのである。

わたしはベースを指で弾くので、右手の中指と人差し指の爪がちょっとでも伸びると、どうしても弦に爪が引っかっちゃってパチパチと余計な音が鳴ってしまう。毎日ちゃんと練習してればヤスリで十分。爪が鳴るのは練習してない証拠なのである。

数日練習サボっちゃって迎えたバンド練で、バンドメンバーにバレないようにこっそり爪を切るときの恥ずかしさったらまあないのだ。まさか、自分の人生とまったく交わることがないと思っていたAV男優と同じ気持ちを知っていたなんて…驚きを通り越して、もはや感動すら覚えてしまった。

プロのAV男優と、プロのベーシスト・ギタリスト。全く別の仕事だが、その意気込みが現れるところは同じであるという偶然、ぜひみんなにも知って欲しい。

ぶりっこ問題

ぶりっことは、そもそもどういった定義なのだろうか。猫かぶってる人のこと?それとも、かわいこぶってること?

「ぶりっこ 意味」でググってみたら、『主に女性が男性の前でわざとらしく甘えたり、女らしさや可愛らしさをアピールしたり、いい子ぶったりする様子。』みたいな感じのことが、ほとんどのサイトに書かれていた。うーん、なるほど。

あくまで、これまでの感覚だけど『女子に嫌われる女子ランキング第1位』はぶりっこであるとわたしは確信している。周りの女の子からすると、その嘘っぽさというか、ハリボテ感が「本当はそんなんじゃないくせにちやほやされちゃって…!けしからん…!」って感じに思われて勘に触るのではないかと思うのである。

かくいうわたしも恋人や好きな人に「◯◯ちゃんってほんま優しくていい子やんな。」的なことを言われ、「いやいやあの子はいつもそんなんちゃうし、それならわたしだってまあまあいい子や!お前の目は節穴か?!」と思いながらも、かわいい女の子の悪口を言って「僻みブス」のレッテルを貼られるのが恐ろしく(実際まあまあ僻んでもいるのだが)、ドス黒い感情をぐるぐると渦巻かせながらも「そうだね〜!」って言ったことがある。100万回くらいある。しかし、そんなことはもうどうでもいいのだ。僻みブスは自分だけが心の中で慰めてやれば良い。

わたしが問題だと感じていること、それはずばり、ぶりっこ狩りである。

ぶりっこをかわいいよね〜と思う人はそれでいい。その人はそういう感性だというだけの話なのだから。しかし、ぶりっこ狩りをする人は、必要以上にぶりっこを敵視し、ぶりっこな振る舞いをやめるよう要求してくるのである。

何で?ぶりっこが気に入らないなら、ぶりっこ狩りは良いんじゃいの?とお思いの方も、恐らくおられるだろう。しかし、何を隠そう、わたしはぶりっこが好きじゃないっぽいことを言いつつも、ぶりっこ狩りの被害に遭うことがかなり多いのである。

言い訳のように思われるかもしれないが、別に意識してぶりっこをやっているわけではない。いつの日か、ちょっとかわいこぶって、かわいい振る舞いを意識したことこそ、あるかもしれない。しかし、そうやってかわいこぶってやっていたことさえも、いつの間にか板についてしまった。プロのぶりっこと言っても過言ではない。板についているということは無意識にぶりっこを発動しているということで、その“わざとらしく”という定義に基づけば、それはもはやぶりっこではなく、とっくにわたしの個性となってしまっているのだ。

そんな1個性を否定される。立派なモラハラである。昔好きな人に「ぶりっこやめて。」と言われた時は心の底から死にたかった。やめようと思って、簡単にやめられるものではない。多様な個性の尊重が謳われる世の中なんだから、ぶりっこだってそういった性格とか生き方もあるよねって、認めてくれたっていいじゃないかと思うのである。

ぶりっこは個性だ。ぶりっこに人権を。これからもわたしはぶりっこ代表として、ぶりっこ狩りへのアンチテーゼを唱えていきたい。

 

お茶犬とちえちゃん

自分はプリンセスだと思いながらソバージュで幼稚園に通っていたときのころ、わたしはどうしてもお茶犬のおもちゃが欲しかった。鼻を押したり、揺すったりすると動く、緑茶の香りがする犬のロボットで、舌を出してクンクンと鳴くのがかわいかった。犬好きなのにペットが飼えなかったわたしは、とっても心を揺さぶられたのである。

そんなお茶犬のCMが流れていたのは誕生日の時期でも、クリスマスの時期でもなかったし、わたしは今と変わらず、そんな何でもない日におもちゃのおねだりができる子どもではなかった。

今思うと明らかに幼稚園児とかが対象年齢のおもちゃだったはずだけど、何となくお茶犬が欲しいということを言うのが恥ずかしかったし、何より両親にはワガママなんて言わないイイ子だと思われたかった。

それでもやっぱり、欲しいのは欲しい。何とかおねだり無しに手に入れる方法はないだろうか…とめちゃくちゃ悩んだ挙句、わたしはCMが流れるたびに「うわぁ…これかわいいなぁ…!」と大きめの声で呟くことにした。「あら、ウチの子こんなに欲しいのに強請るでもなく我慢してるんだわ…!」という具合に、ママやパパに欲しいことを匂わせる作戦である。園児のくせになんという回りくどさ。

しかし、この匂わせ作戦、意外にも功を奏したのか、はたまたあからさま過ぎたのか、繰り返すこと数回、ついにパパが待ち望んだ台詞を投げかけてくれた。

「せりか、お茶犬欲しいんか?」

「…うん。」

「じゃあパパが買うたるわ。」

「え、いいの?」

やったー!イイ子のイメージを守りながらおもちゃもゲット、大成功の瞬間である。だがしかし、喜びも束の間、今ならわかるが、これで終わらないのがうちのパパだった。

「俺の前でちえちゃんのこと“おばさん”って呼んだら買ったるで。」

 

…なんということか。ちえちゃんはママの妹で、両親より10歳くらい年下の美人だった。当時24、5歳、安室ちゃんと同い年で負けず劣らず綺麗だった彼女は、姪っ子である私に自分のことを“ちえちゃん”と呼ばせていた。

そして私は、ママが「ちえの言うことやったら何でもすぐ聞くんやから〜!」って拗ねちゃうくらいにちえちゃんが大好きだった。幼心ながらにも、ちえちゃんが若く綺麗な自分にプライドを持っているということに何とな〜く気が付いていた私。世間一般では両親の姉妹をおばと呼ぶことは知りつつも、大好きなちえちゃんを傷つけまいと、ひたすらちえちゃん呼びを貫いていたのである。そんなちえちゃんを“おばさん”と呼ぶなんて…まさにミッションインポッシブルである。

お茶犬ゲットのため、おばさん呼びミッションを与えられた週末、私はちえちゃんに会った。お茶犬とちえちゃん、どっちを選ぶかまだ考えが決まっていなかったのに、パパがちえちゃんに「せりかが言いたいことあるらしいで。」とかニヤニヤしながら言うもんだから、ついに私はちえちゃんに「おばさん…」と呼びかけてしまった。もうー!って言って怒るかな…と思って恐る恐る見上げたちえちゃんはめちゃくちゃ笑っていた。

「ちえはせりママの妹やからおばさんであってるんやで〜!パパになんか言われたんやろ、気にせんでいいよ〜!」

綺麗なちえちゃんのことをおばさんって呼んだのに、怒られるでもなく、嫌がるでもなく、ニコニコ笑われたのが恐ろしく、お茶犬欲しさにそんなことをした自分がひどいやつに思えて悲しかった。

買ってもらったお茶犬は可愛かったけど、見るたびにちえちゃんがちらついて罪悪感が拭えず、そこまでお気に入りのおもちゃにはならなかった。

今でもお茶犬シリーズのキャラクターを見るたびに思い出し、一体いつになったら時効なんだ?!と思うと同時に、下手に他人をいじって笑いなんて取るもんじゃないなと教訓にしている。

わたしのファンキャラのジレンマ

まずはこれを読んでいただきたいです。

https://am-our.com/love/100/8813/

 

無理めな男子に使うファンキャラ…分かる…。女子を代表して語ってくれたはあちゅうさんには感謝の気持ちしかない。

 

わたしと違うな〜と思うのは、基本的に1回好きになった人を好きじゃなくなることとかが無く、恋が終わっても好きな人ランキングにすぅっと殿堂入りさせちゃうので、はあちゅうさんタイプのジレンマはないということ。

今後も自ら率先して出して行くかどうかは別として、心の中ではファンキャラ続行なのです。周りから今まで通りのファンな反応を求められたとしても、ファンであることには変わりがないから、全然困らない。

 

でもでも、この世の中には無理めな男子に使うファンキャラだけでなく、別に恋愛感情とか全く無いけど何となく好きだからとか、都合がいいから使うファンキャラってのもあると思うんですよー!!そしてこっちのファン活は恋と違って盲目では無いので、相手にめちゃくちゃ嫌なこととかされたら…それは普通に嫌いになるわ〜!!

 

周りのみんなはそんなこと知ったこっちゃ無いので、「この前〇〇くんに会ったよ!」とか「〇〇ちゃんと遊びに行ったよ!」って報告してくれるんですよね。わたしの好きを把握してくれてるのが嬉しいけど本当は「もうファンじゃないの〜!」って言いたい!でも急にそんなのおかしいじゃん〜!!ああ…辞めたいのに辞められない…これがわたしのファンキャラのジレンマです。

ちやほやするのもされるも楽しいって思ってたけど、ファンの安売りってのもよくないのかも知れないですね。わかってくれる人います?もしいたらファンになりますね!

プリンセス・セリカ

ちょっと前に放送されたプリキュアで『男の子でもお姫様になれる』シーンがあったのがとっても話題になってて、「いいじゃん羨ましい〜。私もプリンセスになりたかったなあ〜。」と思った。

 

幼稚園の頃は、ママが毎日毎日「せりちゃんはかわいいね。」って言ってくれちゃってたせいもあって、『もしや世界で1番かわいいのはわたしなのでは?』的な感覚が確かにあって、心は余裕でプリンセスでした。

 

しかし…時は過ぎ…。今や無意識に自虐ネタをかましちゃうし、その度にお友達を困惑させまくる始末。あんまりよろしくない。わたしの周りの人は大概天使とか菩薩みたいにハイパー優しいので胸が痛む。

 

こんなことなら、いっそ多少イタくてもいいから「はぁ、今日もわたしがかわいい。」って感じに振舞ってる方が良くないか? わたしは一体どこで、あのころの気持ちを失くしてしまったのだろう…

 

ということで、とりあえず昔のアルバムを引っ張り出したよ。プリンセスだった初心に帰ってみようではないか、というやつです。

 

 

 

 

これがわたしのハートはまるでプリンセス時代。

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う〜ん。これはプリンセスっていうよりバブリーだわ〜。城よりもディスコが似合う女児。

見た目にかかわらず気持ち次第やな…あと弟がかわいいな…って思った話でした。

未来のプリキュアでは、ソバージュでも21歳でもお姫様になれる世界を描いて欲しいよ。

イマドキ白米縛りは古いよ

最近パパが仕事で忙しい。自分の世話は自分でできるし、特に困ることはないけど、今日は11時ごろに電話で「まだ会社やけどもう帰るよ。ちょっと話があって…いややっぱいいわ、帰ったら話す。」と言われた。

いやいや、話したいことって何なん?

もしや、教採やのに勉強捗ってないこととか、授業飛びまくってるのバレてて怒られんの?と、そろぼち22にもなるのに親の帰宅にビクビク怯えるわたし。

数十分後帰ってきたパパはめちゃくちゃ疲れてそうなのに「ママのとこに置いて。」と何故だか花を買って帰って来た。いつも行くお花屋さんはこんな時間に開いてるわけない。しかも、帰って来るなりママの写真に向かってなんかめっちゃ喋ってる。

いやいやいやいや、ママが亡くなって以来、声に出して話しかけてるのとか見たことないし、なんでわざわざこんな時間に花を…?

切り花に水を吸わせながら、必死に理由を考える。嫌な考えがぐるぐる回って、なんか怖い話されるんかな…って不安になったところでやっと気が付きました。今日、ママの誕生日だ。

電話で「明日お花買ってきて。」って頼もうとしたものの、やっぱり当日にって考え直して自分で買ってきたそう。

娘やのに忘れててごめん…って思うと同時に、こうやって今も誕生日にお花買って来るパパって、いい旦那さんなのかなと思った。菊とかじゃなく、ちゃんとママが好きなガーベラとかバラとかで、パステルカラーのかわいいやつ。

散りやすい花はダメとか、棘とか強い香りの花は仏様に失礼だとか、いろいろあるけどそんなん関係なく、ママが好きそうなの選ぶっていうそういうところが、うん、いいと思う。お誕生日だし。

私もそういう人になりたいし、こういうのはやっぱり気持ちの問題やなって思ったから、ご飯入れる仏器に今日の夕飯のたらこスパゲティ盛ったけどちょっと怒られた。

それはあかんのかい。